なぜ製材所が、歴史の会社を支えるのか

── 法人COTEN CREW として

有限会社田中製材所は、2022年から株式会社COTENの「法人COTEN CREW」として、COTENの活動を支えています。

木を挽く会社が、なぜ歴史の会社を支えるのか。自分でも説明の要ることだと思うので、書いておきます。

山は、ずっとルールに振り回されてきた

もともと山は、薪も材木も食べものも採れる、暮らしに欠かせない場所でした。江戸時代には藩が山を管理し、村が共同で使う「入会地」がありました。共有地ですから、所有権ははっきりしないまま、みんなで手を入れていたわけです。

それが明治になって、土地の所有をはっきりさせることになり、入会地は消えていきます。線を引いたことで、かえって誰も手を入れられない山が生まれました。

田中製材所が羽曳野で木を挽きはじめたのは、1893年(明治26年)です。ちょうど、その線が引かれ終わったころにあたります。

そこから先も、山を取り巻くルールは、そのつど大きく変わってきました。

1893年(明治26年) 田中製材所、羽曳野で創業
1964年 木材の輸入が自由化される 創業から71年
2002年 木材自給率が18.8%と、過去最低を記録 創業から109年
2021年 ウッドショック。輸入材が止まり、国産材にまた目が向く 創業から128年
2023年 木材自給率は43.0%まで回復 創業から130年

自給率は林野庁「木材需給表」による。2023年の値は2025年1月の修正後の数字です。

山が変わったのではありません。山を取り巻くルールのほうが、そのつど変わってきたのです。そしてこの製材所は、その全部を、木を挽きながら通り抜けてきました。

こういうものの見方を、私たちは「メタ認知」という言葉でCOTENから教わりました。いま目の前にある常識は、たまたま今そうなっているだけかもしれない。製材という仕事をしていると、どうしても業界の内側からしかものを見なくなります。相場、規格、納期。そこから一度離れて、自分たちが立っている場所を外から眺めるための道具として、歴史はよく効きます。

四年前に話したこと、いま言えること

2022年7月、COTEN代表の深井龍之介さんと対談する機会をいただきました。法人COTEN CREWになった企業を訪ねる連載の一本で、記事はいまもCOTENのサイトから読めます。冒頭で深井さんは、製材所が法人COTEN CREWになったのは初めてのケースだ、とおっしゃっていました。

そのとき私は、法人COTEN CREWになった理由を「せめて材木屋という存在を知ってほしい」と話しています。

同じ対談で、若いころコンビニでアルバイトをしていた話もしました。決まった時間が来ると、売れ残りの弁当を捨てる。大量に捨てても利益が出るように仕組みができている。これでいいんだろうか、と複雑な気持ちになった、という話です。山や木にも同じ無理がかかっているのではないか、と続けました。

四年経って、あのときの違和感には名前がつきました。始末です。素材の一生――山から町へ、使われて、いつか終うまで――に、最後まで責任を持つこと。捨てることではなく、責任をもって仕舞うことです。

そしていま、田中製材所では木に来歴書を添えています。この木がどこの山から来て、いつ伐られ、誰がどんな機械で挽いたのか。それを一枚の紙に書いて、木と一緒にお渡しする。木そのものは何も変わりません。けれど、来歴が書かれた木と、書かれていない木は、受け取った人にとって別のものになります。

来歴書は、COTENから直接もらった商品ではありません。ただ、自分の商いを木材市場の内側からしか見ていなかったら、たぶん出てこなかった発想です。値段のつけ方を疑うには、値段のつけ方が今のようになった経緯を知っているほうが早い。

直接の見返りを約束しない仕組みに、あえて乗る

法人COTEN CREWは、支援に対して直接の見返りを約束する仕組みではありません。COTEN自身が、直接的・ビジネス的な見返りではなく、事業を進めて社会に還元していく、とはっきり書いています。

正直に言えば、これが直接の商売になったことは、いまのところありません。

それでも席を置き続けているのは、効き方が遅いからだと思っています。ボディブローに似ていて、その日その日の成果としては見えないけれど、ものの考え方の土台のほうがゆっくり動く。木を扱う商売とも、そこは似ています。山に苗を植えて、使えるようになるのは五十年先です。五十年待てる商売をしていながら、学びだけ今期中に回収しようとするのは、筋が通りません。

聴いている方へ

COTEN RADIOを聴いている方が、この文章にたどり着くこともあると思います。もしそうなら、たぶん長い説明はいりません。あの番組を聴いたあとに世の中の見え方が少し変わる、あの感じのまま、木や山のほうも見てもらえたら嬉しいです。

四年前の対談では、こんなことも話しました。都市には文明があり、山には暮らしと、そこから生まれた文化がある。山の知恵は都市でも使えるけれど、都市の人がいきなり山へ行っても戸惑うばかりなので、あいだに立てる人間の役目がある――と。

羽曳野の製材所は、大阪の街から一時間ほどのところにあります。見学もできます。

山と町のあいだに立つ会社として、ものの見方を鍛えてくれる場に、これからも席を置きます。

2026年8月現在

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